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「災後」と「災厄」「災厄後」

~新たな試練を乗り越えて!~

 題名“「戦後」が終わり、「災後」が始まる”との著書を、東日本大震災復興構想会議議長代理、御厨貴氏が世に出したのが、大震災発生年の12月でありました。

 今年の3月11日でまる十年が経ち、当初の復興計画10年を終え、5年間の「第2期復興・創生期間」と国が位置づけ、復興庁も存続して復興が更に続けられることになっています。福島県は福島第一原発による複合災害による被害が大きく、原発の廃炉作業を含め復興がどれだけの年数を要するのか、計画はあくまで計画ですので、実際どのくらいかかるのか見当がつきかねるところです。一方、宮城、岩手両県においては、ハード面の整備が完了しつつあると思われますが、被災者の「心のケア」などソフト面の課題等があるかと思っています。

 「災後」が果たしてどんな形であったのか、今後あるのだろうかと私なりに考察できかねているうちに、「コロナ感染症」という世界的な規模でのパンデミックが我々を襲っています。ウィルスと人類は永遠の共存だと説く学者もおりますが、意味は大きな観点から分かるものの、現在はウィルスから人類が攻められっぱなしの状態です。

人類として各国の知恵を結集し、立ち向かわなければならない戦いと私は認識しています。

 各国のコロナ感染症対策は必ずしもうまくいっているところばかりではありませんし、我が国においても批判が渦巻いているのが現実です。しかしながら乗り越えて行かなければなりません。

そんな中である経済誌に「災厄後」という言葉を見つけました。今回の新型コロナ後は「災厄後」と言ってみたらどうだろうかというものです。そして「災後」と「災厄後」の大きな違いは「絆」が出発点ではなく、到達点になることと筆者は述べています。「災厄後」の最大の障壁は、人の移動がかってほど復活しないことを予測してのことです。実際どうなるかは分かりませんが、今回のパンデミックについても、人が大勢集まって騒いで楽しめるようになるのはいつになるのか予測がつきませんし、本当にコロナ前のような生活に戻るのだろうかということです。筆者は人流対策が賢く設計された社会の方が耐久性のある社会だろうし、そのような社会に変容する可能性を指摘しています。

 被災県としては「災後」と「災厄」を同時に抱え、当面の県政の課題に取り組んで参らねばなりません。まずはコロナ関連での地域医療・地元経済対策等でありますが、地域の皆様の声に耳を傾け頑張って参る所存です。どうか今後ともご指導ご鞭撻宜しくお願い申し上げます。

〈3年8月末 更新〉

           

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